ポムフード特別企画 オムライス純文学
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第六話 科学者のたまご

第六話
科学者のたまご

娘は生まれながらの天才だった。五才の頃、ボール遊びをしながら、
「わたしたちのすんでるところも、ボールみたいにまあるいの?」
地球球体論を繰り出した。なんでも、水平線に頭から現れた船を見て、世界が丸いことに気づいたらしい。小学校ではIQテストで、180のIQをたたきだし、国の偉い人たちが、列をなして娘の見学にやってきた。
そんな彼女が唯一欲しがったのは「わからない」という経験だった。
勉強だけでなく、スポーツも、お稽古ごとも、すべての分野で完璧な成果を出す彼女は、「できない」「わからない」という体験を何よりも欲していた。
娘が小学校高学年にあがった頃だ。僕たちは彼女を近所のオムライス屋に連れていった。ひと口、ふた口、オムライスを食べた娘は、不思議そうに首を傾げた。それから見たことのないものにさわるように、ゆっくりとたまごに切り込みをいれた。半熟状の黄色い断面がとぽっと皿の上に崩れ落ちる。
「このたまごの食感、ふつうの作り方じゃできないよ。」
母親を見つめてつぶやいた。娘はたまごだけをすくって口に運び、皿が空になると僕たちを急かし大急ぎで帰宅した。
「あのたまご、自分で再現してみたいの。」
ボウルに大量の卵を割り、フライパンにのばして冷や飯をくるんでいった。最初の1枚は、フライパンにくっついてはがれなかった。バターを多めにした2枚めは、揚げ物のようにカリカリに仕上がった。3枚、4枚と、失敗作が重なっていく。そのたびに娘の顔は、輝きを増していった。
「ぜんぜんできない。わたしあのふんわりたまごが作れないよ!」
冷蔵庫から卵がなくなると僕はコンビニまで走り、娘のために卵パックを買い占めた。その日一日、彼女はオムライスに挑み続けた。
朝がきた。我が家の小さな科学者はとうとう、ふわふわのたまごを再現することができなかった。
「外はふわっと、中は半熟でとろっと。この再現には、加熱によるたんぱく質の状態変化を完全にコントロールする法則を見つけつつ、それを実演する腕も必要。つまり、ポムの樹のオムライスは科学と技術をかけあわせた大いなる発明なのよ。」
娘の理屈にはついていけないが、生まれて初めて「できない」という経験に出会えたことは親として嬉しい限りだった。彼女は現在、ポムの樹のたまごを再現する完璧な計算式を模索している。
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